クラシックに薀蓄は必要か(その4)

さて、そろそろクラシック音楽に薀蓄が付きまとって鬱陶しいということの本題に移らねばならないが、その前に1枚のCDを紹介しておく。

哲学への告別

哲学への告別

  • アーティスト: ウェッバー(ジュリアン・ロイド),ブライアーズ,ジャッド(ジェイムズ),イギリス室内管弦楽団,ネクサス,ヘイデン(チャーリー)
  • 出版社/メーカー: マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 1996/10/25
  • メディア: CD
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  この表示ではまったく的を得ないが、このアルバムはギャビン・ブライヤーズという現代イギリスの作曲家の作品を収めている。収録されているのはチェロ協奏曲〈哲学への告別〉(1995)、〈最後の1小節、それでジョーが歌える〉(1994)、〈ヴァー河のほとりで〉(1987)の3曲。ブライヤーズという作曲家を知らないで読めば、どうせ鬱陶しい現代音楽だろうと思わせるに充分なタイトルだ。しかし、ここで展開されているのは、ゆっくりと流れる時間のなかで、ひとつひとつの音に耳を澄ますような静謐さが全曲を通じて支配的で、ブライヤーズのアルバムのなかでももっとも叙情的なものである。声高に語るところがまったくない。これらの音楽を聴いて「鬱陶しい」と思うひとはまずいないはずだ。ブライヤーズについては以下を参照してほしいが( http://d.hatena.ne.jp/keyword/Gavin%20Bryars?kid=105137)、この経歴を読めば、ある人はブライアン・イーノアンビエント・シリーズを思い浮かべるだろうし、ある人はジョン・ケージの不確定性の音楽を思い浮かべ、別の人は何人かのジャスの演奏家たちのことを思い浮かべるだろう。実際、このアルバムの3曲目はジャズ・ベーシストのチャーリー・ヘイデンのために作曲されており、ヘイデン自身によって演奏されている。
できれば、このアルバムをぜひ聴いていたうえで読んでいただきたいのだが、この音楽はどのジャンルに分類すべきだろう。もちろん「コンテンポラリー・ミュージック」といってしまえば終わりだが、誤解を承知でいってしまえば、クラシック音楽というジャンルで括ってしまっても、音楽のもたらす雰囲気や換気される音のイメージとしてはなんの支障もない。*1 少なくとも、スティーヴ・ライヒなどのミニマル・ミュージックや、ポストミニマルといわれるジョン・アダムスなどの現代音楽をクラシック音楽の延長と考えるならば、ブライヤーズの音楽はさらにクラシック音楽にちかい。*2 もちろん、伝統的なクラシック音楽の形式は使っていないが、その音楽がもたらす感覚的な快楽はクラシック音楽と同質のものといってもいいものだ。――クラシックを鬱陶しく思う人は、こういう音楽をまず聴かれてみてはどうかと思う。

(この項未完)
突っ込みどころを多数残したままで中断せざるを得ないのは心苦しいが(とくにミニマル・ミュージックをクラシックの延長などとは、音楽学的には絶対にいえない)、とりあえずそのままにしておく。

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*1:――「哲学との告別」にはシュスタコーヴィチの交響曲第8番のアダージョ楽章に似たフレーズなんかも出てくるし、曲全体にただよう繊細な厳しさはシュスタコーヴィチの交響曲アダージョ楽章のそれに近いとおもう。

*2:――もちろん、クラシックという言葉はここではひじょうに曖昧に使っている。ミニマル・ミュージックと伝統的なクラシック音楽の構造は異なるし、延長ということはできない。ただ、一般的に聴衆が抱くイメージのなかでの問題としてとらえている。