趣味ということ

学生時代から人に問われて困る質問のひとつが「趣味は何ですか?」というものだ。哲学科で美学なんて専攻していれば、読書とか音楽鑑賞とか美術鑑賞は趣味ではなく研究対象である。テニスとか旅行とかいえればそれなりに格好はつくが、スポーツに興味はなかったし、旅行には必ず音楽とか美術とかいう目的があったしな。社会的評価を問われない質問者には「友人と酒を飲むことですかねぇ」と答えていたように思う。編集の道に進むときも、人文書の編集を目指そうとうのに、趣味は読書とか音楽鑑賞とか芸術鑑賞もないだろうから、履歴書に趣味欄はいつも白紙だった。しかし、いまの若い編集志望の人間と話をすると、かなりの確率で読書という答えが返ってくる。そういう人間は編集の道に入ってもたいてい長続きしないか、居候編集者になることが多い。そういうときには、「趣味が読書ならこの仕事は向かないよ」とちょっと嫌味な反応で答えるようにしている。実際、まじめに仕事をしていれば、本を読む時間も少なくなるのが普通なのだ。
というわけだから、俺には趣味といえるものが長い間なかったというとになる。音楽を聴くのは思考の延長だし、仕事にも直結する。そんな俺がおそらく初めて見つけた趣味が音楽を聴くための手段でしかなかったものが、自律した価値観をもつようになったオーディオというわけだ。だが、いまの俺には、まだその線引きがどのあたりにあるのかよくわかっていない。音楽を聴くための手段からまったく離れて、それ自体が目的化してしまうと趣味とは言えなくなるからだ。とっかえひっかえ機材を買い込んだり入れ替えたりするだけの財力があるわけでもなく、電気的な知識も恐ろしく貧弱で、工作も苦手な俺は、オーディオをどういう形態で趣味として続けていくのか、模索中なのである。