後ろから前から、横から

 いまは無き日活ロマンポルノに「後ろから前から」(1982)なんて映画があって(主演は平尾昌晃と「カナダからの手紙」のデュエットで歌手デビューした畑中葉子)、そのなんともストレートなタイトルにのけぞったことがあったが、残念ながら観ていない。80年代の日活ロマンポルノは文芸路線を捨て去って、より通俗的なポルノ映画になり……いや、そんな話じゃなくて、電車の中のポータブル・ミュージックプレーヤのこと。
 あれ、どうにかならないものか。
 通勤経路を地下鉄からJRに切り替えて、座席にすわれる確率がずいぶん減ったことと、学生比率が増えたためだと思うが、こいつにはずいぶん悩まされる(通勤時間を少し早めたのがもっとも大きな要因だが)。
 きょうなど、ポータブルMPをガンガン鳴らしている前の女子学生と左右・後ろの男子学生に囲まれて、午前中からのシャカシャカ音のシャワーを浴びせられてほんとうに気分が悪くなって、ぶっ倒れそうになった。
 電車の走行音のノイズがすでに音の「地」としての環境を形成しているところに、はっきり聴き取れる「図」にもならない中間領域のノイズの複数音源に周りを取り囲まれると、意識のやり場がなくなって、現実との接点を失ってしまうのだ。外の景色や取り出した本に集中しようにも、そうなると視覚的にも怪しくなって無駄なのだ。聴覚から視覚、中枢神経へと領域侵犯的に感染していくウィルスみたいなものだ。
 このご時勢、ポータブルMPを使うなというほうがムリがあるし、周囲に気を遣えといったところで、彼らには「周囲」という外部認識が希薄なのだから、根本的な部分で理解できるはずもない(電車の中で化粧をしている女性と同じだ)。ましてや、そのシャカシャカ音でマジにぶっ倒れそうになる俺のような人間がけっこういることなど、想像もできないだろう。こちらにできることは、ポータブルMPで対抗して聞こえないようにするというのもあるが、もともと音楽を持ち歩くのが嫌いなので現実的ではない。
 となれば、まだしばらく時間はかかるだろうが、超指向性のインナー型ヘッドフォンをもっと普及させてもらうという、メーカーサイドの企業努力に期待するしかない。