古書の誘惑

 理由はいくつかあるのだが、ここ10日くらいでCDは2〜3枚しか聴いていない。こういうときは、たいてい尻に火がついて対応しなければならない実務的、あるいは、あれかこれか的な実存的な選択(笑)を迫られているか、興味の対象のほとんどが音じゃなくて文字媒体にシフトしているかのどちらか。今回は、それがいっぺんにやってきた。得体の知れない存在(実存ってやつ)が音楽なんかじゃないと語りかけてくるのだ。だから、その要請が無性に気になって、本をひっくり返したり、買い込んだりする。「友よ! このような音ではなく!」ってのなら、「もっと心地よい響きのものを」といえるが、沈黙からの(への)要請というのは、耳に聞こえるものすべてを何か別の意味体系に変換してしまう。感覚的には、たとえば、事務所の窓から聞こえてくる車の騒音や人の声がやけに大きく聞こえるとかいった具合に、聴覚として束ねられた神経が裸になってむき出しになったようなかんじ。かといって音楽を聴くとやけに遠くで鳴っているようにしか聞こえない。
 というわけで、今月はCDは一枚も買ってない代わりに、古本漁りの月となった。音のひらく世界/文字のひらく世界なんてことを考えながら。
 いや、書こうとしてるのは古本購入の話。
 何度も書いてるように、事務所は神田の古本街に位置している。稀覯本漁りをしない限りたいていのものは探せば手に入る環境である。しかし、ここしばらく古本屋めぐりはしていない。欲しい本を探しているうちに、そのとき必要のないものまで買い込んでしまうからだ。そうすると、薄給のお父さんのお小遣いはあっという間に底をついて、そのためにいままで何度も痛い目にあってきた。ので、この数年ネット古書販売を利用することが多い。目的の本以外をクリックしてしまうこともないわけではないが、実物を手にして目次を眺めたり、拾い読みして後に引けなくなってレジに持っていってしまう確率からすれば、圧倒的に少ない。それに、最近はネット古書の情報整備も進んできているので、そのときに買えなくても、また別の機会に、もっと手ごろな値段で買える可能性というのもある。
 もともと、潤沢な資金があればそんな手間をかけなくてもそろう程度の本しか買わないのだが、本だけに少ない資金をつぎ込むわけにもいかないので、どうしてもスーパーで買い物をするときのようにあれかこれかと迷う身としては、いちばん理にかなっているというわけだ。まあ、煙草をやめればかなり楽なのになぁ、といつもおもうのだが、う〜ん、現状ではそれは難しい。
 ところが、この地区、この時期になると古本市がある。今年は10月27日から11月1日まで。こいつにはいつも悩まされる。店なら入らなければいいのだが、露天となれば歩いていればイヤでも目に入る。予定外の本をこういう祭りの「ハレ」の雰囲気のなかで買って、中学校のときからずっと縁の深いこの町の活性化に寄与するのもいいが、今月はもう打ち止めである。
 いくら通常価格よりも安く出てるとはいっても、読むあての当分ない本を買ってしまえば、じゅうぶん足が出るのは目に見えている、と言い聞かせて、今年は「絶対に買わないぞ!」。
 しかし、探している本がないわけではないので、そいつが安くなっていたら…などと考えると、月末・月初めが恐ろしいのである。