西山まりえのマニエリスム

Waldstimme2006-12-13

 知人がたちあげた新レーヴェルAntronello MODEから年明け早々バッハの鍵盤音楽全集を順次録音していくというチェンバロ奏者西山まりえのplays Bachシリーズの第1回リサイタルを聴きに行った。西山のバッハはすでにコジマ録音から《フランス組曲》がリリースされていて「レコード芸術」誌でも特選盤になってるらしいが未聴。というか西山のソロを聴くのすら初めて。初台のオペラシティ3Fの側楼風の小さなドーム型のスぺース(近江楽堂)にて。12日。
 メインの《ゴルトベルク変奏曲》のまえに、2声のインヴェンションから5曲というプログラム。
 1 曲目のインヴェンション第15番の冒頭から、複雑に絡み合う装飾音と旋律線がルバート気味のフェイント攻撃、一瞬クープランの曲が始まったのかと思っちまった。でも、けっきょくこれが西山の武器なんだね。《ゴルトベルク》でもひとつひとつの音型ごとにテンポを変化させて、音楽の流れをかなり自在に操るためのトリガーとしているような手つき。その手つきから生まれる音楽のゆらぎが「世界一カンタービレチェンバロ」って大風呂敷なうたい文句につながるんだろうが、むしろ巧みに織り込まれたバッハ特有のフィグーラ(音型の意味論)をにらみながらも、そこに必要以上に踏み込まないことがいいい方向に作用して、音楽の焦点を旋律線からずらすことにつながり、マニエリスム絵画のような独特の揺らぎを生んでいるようにおもえる。
 個々の表現としては、ちょっと神経質すぎる部分もあるが、微妙な音型をとらえるアイデアはとても豊富だ。そのアイデアが恣意性を超えてひとまわり大きな全体像を獲得できれば、かなり斬新なバッハ像を提示できるのではないかしら。
 次回は3月にイタリア協奏曲を演奏するというが、バッハのイタリア受容を昇華したこの作品に、西山がどのようにアプローチするかも楽しみ。

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 ところで、会場となった近江楽堂と同じフロアのアートギャラリーで、建築家の伊東豊雄の近年の建築手法を展示した「建築/新しいリアル」が催されていた。あらかじめ知っていれば、もっと早く事務所を出てその展示を見てからリサイタルに行ったのだが。会期は24日まで、時間がとれるかどうか微妙だな。