「これはギャグではない」

 納豆の集団ヒステリーといい、きょうのこのニュースといい、笑かしてくれる。
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070115k0000m040085000c.html
 
「具体的に何をするのかは『高校や地域の清掃、校内のトイレ掃除』といった程度の議論しかされていない。」
 って、正気で議論してるんだろうか。校舎の掃除やトイレ掃除なんていう、生徒が日常的に自分たちの責任においてやるべきことに、「公共性」とか「奉仕」なんて大義名分をつけることの無邪気さはほとんどギャグだし、縦しんばそれを容認したとして、その先にあるのは、なし崩しの全体への奉仕というわけで。けっきょく、この過程のどこにも「個」という価値観が介在していないんだよな。
 だったら、最初から「徴兵制導入!」なんて脅しをかけたほうが、よほど「公共性」とか「奉仕」とか「国家」なんて問題を個人として考えるだろうに(もちろんこれもギャグだ。国民的な議論になるときには、状況はもっと先に進んでるから)。
 個人としてまともに論じるための土俵のないところでは、情報はパロディとしてしか機能しないのかも知れない。

【追記】
パロディといえば。例の2ちゃんねるドメインの差し押さえ騒動だけど、http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=144462&media_id=16

「論理的に可能」ならやったほうが第三者的にはおもしろいね。相手は当初から「何もしない」を決め込んで、さらにすべての状況をパロディ化してるわけだから、パロディを返してやればいい。裁判そのもをパロディとして演出すれば、ひろゆき氏のパロディは成立しないから。というのも論理的な可能性の問題で、そんな金はだれも使いなくないだろうしね。