幹事会/納豆のない日々

 5年に一度、中学校の同期会があって、今年がその3回目の年にあたるということで、新年早々その幹事会が昨晩あった。9クラスもあるとそれなり準備も必要で、今年はこういう幹事会(という名の飲み会)も増えそうだ。
 各クラスからの幹事だけでも20人くらいいるが、その半数が集まっただけでも、じゅうぶん気持ちは中学生に戻る。共有した時間の短さと半比例するように、その後のはるかに長い時間が消えてゆく感覚。それも毎回のように。「ここでは時間が空間に変わる」とは《パルジファル》のグルネマンツがパルジファルに語ることばだが、長い時間が人と人のその場の接触で中学生のころの空間に変容するみたいな。不思議なものだ。

 話はうって変わるが、俺は納豆が好きだ。mixiのプロフィールでも書いているように、人生のいちばん最後に食べたいご飯のおかずの筆頭も納豆なのだ。
 ところが、この1週間納豆が買えない。いつスーパーに行っても売り切れ。きょうも納豆売り場だけがポカンと間抜けなくらいきれいに空いていた。先日など、俺の前のオバンが、10個ほど残っていた納豆を全部カゴにつっこんでしまい、俺が買うぶんがなくなってしまった。
 この憂き目の原因はもちろんこいつだ。
 http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=142405&media_id=2
 俺はこの日の放映は見ていなかったが、オイルショック時のトイレットペーパー以来の品不足の光景を見ると、その過剰なまでの大衆心理に薄ら寒くなる。どうせ、一時的なものでしかないことはわかっているが、この現象が「美しき日本」というプロパガンダと妙にリンクしている様な気がしてならない。ダイエットがブームになるのはわかる。しかし、このブームが個人の選択ではなく、妄信的な熱狂に支えられているところが気に入らない。
 ところで、関西でも納豆は品切れなのだろうか。