インバルが心配だ

エリアフ・インバル指揮ベルリン交響楽団によるマーラー交響曲第9番サントリーホール)を聴いてきた。最近は触手の動くコンサートが少ないのだが、これは昨年から楽しみにしていた。書きたいことはたくさんあるのだが、2,3にとどめる。まず、インバルの身体に関すること。脚がずいぶんと弱くなっているようで、指揮棒を持たず上半身だけで指揮をするようになってしまった(まだ、70歳手前なのに)。第1楽章と第4楽章のインターバルでは、指揮台の前におかれたイスに2分ほど腰をおろさなければならなかったほどだった。そのため、インバルの最大の特徴である偏執的ともいえるような細部への突っ込みがいくぶん後退する結果になっている。腕だけ指揮をしていると、本番での直感的な音楽への反応をオーケストラに伝達する手段の多くの部分がつかえなくなる。老練の手管や、(あまり意味のわからない言葉だが)巨匠風の円熟味といった方向性とは違ったスタンスを持つインバルのような指揮者の場合、こうしたことはかなりマイナスに作用する。実際、2000年のマーラーの5番や、2001年のプログラムのアンコールで演奏した「ウィーン気質」の末端肥大症的なデフォルメぎりぎりの危うい緊張感に酔った俺も、今回は、なんか見通しがよくなりすぎて、インバル流のマーラーのスコアの読み方を勉強させられているような気になることがしばしばだった。もし、インバルが意図的にそういう方向にシフトしているとすれば、ちょっとさびしい。次の火曜日に聴きに行く5番でその答えがある程度、見えてくるだろう。
あと、客の入りがひじょうによくないのはいただけない。客席の6割程度しか埋まっていなかった。これはプロモートする側の誤算だな。しかし、問題は有料入場者の数ではない。空席が多いとどうしても演奏者のモティベーションは下がってしまうから、こういった場合、招待券をバラ撒いてでもある程度、客席を埋めるのが普通だが、それをしなかったのは大きな怠慢だ。きょうの演奏も、第1楽章はあきらかにオーケストラのテンションが低かった。幸い、来ていた聴衆の反応はよく、団員が引けたあともインバルは2度ほどステージに呼び出された。つまり、本当にインバルのマーラーを聴きたい聴衆が多かったということなのだが、その数はかつてのクラシック・ブームやマーラー・ブームの比ではないのだから、そろそろサントリー神話から脱却して、もっと器の小さなホールで、演奏者と観客のインターフェースを重視することを考える時期にきているのではないか。
(追加)
あまりに気になるので、今朝、明日(9日)のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ベルリオーズ幻想交響曲(すみだトリフォニー)のチケットも予約してしまった。明日のみのオプションとして武満の「弦楽のためのレクイエム」が前振り。…これで、来日公演曲目全曲制覇(笑)。にしても、今回の公演、とくに大きな協賛がついているわけでもないのに、価格設定が異常に低めだ。サントリーでもS=12000、トリフォニーだとS=10000。このコンビでコバケン/プラハ交響楽団と同じなんて、腑に落ちないなぁ。
(訂正)
メンデルスゾーンマーラーの5番の日でした。明日は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番《皇帝》(^^;