教皇の崩御

ヨハネ・パウロ2世が逝去した。俺は、クリスチャンでもないしどの宗教にも与してはいない典型的な葬式仏教徒だが、けっこうな感慨がある。強大な影響力をもつ宗教組織であれば、ある種の宗教的モメントを神秘化し絶対化しなければならないし、カトリックともなれば、西洋的思考の核ともなる教義の蓄積の歴史は膨大なものとなる。しかし、忘れてはならないのは、書かれた記録/書かれなかった記録が同じ重さをもって、ある種の符牒や象徴をつうじて連綿と受け継がれるということであり、教義などは万人に布教するための表層に過ぎず、ごく少数のものにしか受け継がれてこなかった「隠された歴史」があるということだ。…などというと『ダ・ヴィンチ・コード』みたいだが、書かれた歴史というのが、そのまま隠蔽の歴史でもあることを考えれば、ある組織が存続するためには、そうした隠蔽のための装置を発動させざるをえない。組織が巨大になればなるほど、その装置は複雑かつ巧妙になり、その結果、陰謀史観論者が好むようなさまざまな憶測も生まれるわけだ。しかし、そもそも西洋の文化や社会の成り立ちそのものが、そうした巧妙化した隠蔽装置と同じ構造に拠っているのではないか? つまり、西洋的「近代」とは、カトリック生まれの隠蔽装置を、国家という概念に応用した社会のことではないか? そう考えれば、西欧近代主義の限界が露呈し、多民族の共存/対立を生んだ過程と、カトリックが他の宗教組織との宥和政策に転じた過程というのも、構造的にパラレルであることになる。つまり、初めからローマ・カトリックが、イラン戦争直前におけるアメリカの暴走を憂慮し、それをいくら牽制したところで失敗に終わることは必然だったといえないか。メディアがとらえた「苦悩する教皇」の姿はおそらく真実だっただろう。しかし、宗教も国家も隠蔽装置として機能する限り、その苦悩の行く先は見えてこない。ヨハネ・パウロ2世の苦悩の表情は、それを自らわかってている故の苦悩にも見える、といえば穿ちすぎかもしれないが、「空飛ぶ聖座」といわれた教皇外交などを見ているとそんな気がしてくる……まずいな。このまま書いていくと切りがなくなる。
方向転換――。24年前、逝去した教皇が即位した翌年、初めてヨーロッパに行ったのだが、ある経緯があって、教皇が夏を過ごすローマ近郊の別荘でヨハネ・パウロ2世に謁見する機会があった。そのとき、「あなたは、私たちの社会が知り得ないどんな秘密を知っているのですか?」と訊いてみたかったのだが、うまい言葉が見つからなかった。いまなら、「私たちが知りえないあなた方の歴史が、社会をどのように規定しているとお考えですか?」とでもきいただろうか。――冥福を祈ると同時に、謁見の際にもらったロザリオを、その後の旅の途中でなくしてしまったことを告白したい。何万分の一つではあっただろうが…。