中学時代の同級生がクスリで死んだ。クスリとはもちろん非合法のクスリである。死後2日経って発見されたという。一昨年、ある経緯で顔を合わせたときは元気そうだったが、後で聞いたところでは、かつての同級生たちがそれなりに社会的な活動をしていることに大きなコンプレックスを抱いていたというから、かえって会ったことが、あいつを追いつめることになってしまったかもしれない。こちらが何かできるなんて思いあがりも無関心もまったくなかったが、なんかやりきれない。弱い人間だったと言うのはたやすいが、繊細で芸術家肌の感性を持ちながらそれが現実との接点を持ち得ずに墜ちていく底なしの怖さを共有できるものなどいない。共有できるとすれば、それは実存的な意味での「無」でしかあるまい。手足が壊死寸前だったというあいつの想像力が最後にみたものはなんだったのか。そこに理性だの道徳だのといった反省的な感情などあってほしくはない。合掌。
こんなところで書くべき話題ではないが、記すべき余白はすでに埋まっている。