TDA1541.トランスI/V(Peerless版)

「音決めしているうちに低音過剰気味になってしまったので、ばっさり切ってくれ」というjinsonさんの謙遜気味の言葉があったので、そのつもりで表記DACを聴いてみた。たしかに今まで聴かせていただいたjinsonさんのどのDACよりも低音の量感がある。8月に聴かせていただいたTDA1541.トランスI/Vにたいして、低域が弱くコントラバスの音程が聞こえないというようなことを書いたので、jinsonさんに低音をずいぶん意識させてしまったのかな。たしかに低域を充分ホールドできないアンプやスピーカーだと低域過剰で下手をするとそこいらのミニコンポみたいなバランスできこえてしまうかもしれない。けれど、俺の環境では過剰というほどではなく、よく低音の響くコンサートホールで聴いているという程度である。充分しまりのある低音なので、遠くで鳴っているコントラバスの音程もよく聞こえるし、響きが飽和状態になったようにかぶってしまうこともない。
むしろ、このDACは空間の表現性がすばらしいと思う。ことさらに帯域が広くて音場感が広がるというわけでもなく、帯域などむしろちょっと狭いのあかなぁというくらいにきこえるし、目の前にオーケストラが迫ってくるというような迫力のある音場感でもない。ひと言でいえば、音のたたずまいがいいのである。別の言葉でいえば音の手触りを伴った空気感といってもいいだろう。空気がなければ音が存在できないのは自明の理だが、いい音いい音楽というのは音自体に空間をはらむものなのだ。(ここで俺が言っている意味は、哲学者のハイデガーが「芸術と空間」という後期の短い論文[講演記録だったかな?]で――彼は彫刻についていっているのだが――芸術はその形態によってではなく、それが空間を生み出す限りにおいて芸術たりえる、逆に言えば、空間を内在させる「あるもの」が「ある」ことによってのみ、空間は存在できると述べていることに近い)。簡単に言ってしまえば「いい雰囲気」ですませられてしまうのだが、コンサートホールで豊かな倍音とともにホール全体に広がる音楽の形がちゃんと空間の中に位置している感覚とでもいうものがよく感じられるのだ。広い空間のざわざわした静寂感……。たぶん、ふんだんに物量を投入した超ハイエンドの機器ならば、そういう部分も物理的に獲得できるのだろうが、個人が作ったDIYDACでこうした感覚が味わえるのはとても貴重な気がする。以前お借りしたトランスI/Vにもその片鱗は見えたのだけれど、今回のものは、そうした美点が充分に発揮されているように思う。たぶん、ピアレスというトランスの特性をjinsonさんが充分活かしているのだろうな。ネットなどで見てみると、トランスI/Vの音は鈍いという人もいるようだが、たぶんこういったトランスI/Vの美点を考慮せずに(それを活かすという方向ではなく)、たんに物理的な「音」にばかりに目を向けて音作りしている結果なんじゃないかな。
ただ、難点もあって、トランスI/Vにすると高域の伸びがなくなったように感じられるのだろうか、やはり高域にjinsonさん流の味付けが加わっているように思うのだ。せっかく中低域から中高域にかけて空気感をともなった音の存在感が展開されているのに、高域になるとそんなそれが希薄になってしまう気がする。むしろ高域にあまり手を加えずにトランスI/Vの美点をそのまま受け入れたほうがいいような気がするのだが、どうなのだろう。もちろん、それがそんな簡単じゃないことはわかるのだけれど。