かるくヤヴァイ

このところ気分が停滞している。確定申告があったからとか、WBCの審判がアホだからというのではない。やるべきいくつものことが据え膳状態で目の前にあるというのに、ほとんどやる気がおきないのである。やるべきことのそれぞれはたいしたことではなくて、手をつければそれほど労力を使う必要はないのだが…。「こんなことやってなんになる。もっとやるべきことがあるだろう」という内的な声が前に行こうとする気持ちを阻む。いちばん大きな歯車が止まっているのに、補助装置の小さな歯車のメンテナンスばかりが要求されているような気がしてならない。
もともと、据え膳を前にして立ち止まるというのは、俺の行動および思考様式ではあるのだが、今回はこの状態が長すぎる。諦めて音楽を聴いても集中できないし、本を読んでも文字が流れるだけで、頭に入ってこない。
このような状態は、大学院で修論を準備してた頃以来だろうか。とりあえず書くことは決まっているのだから、引用文をピックアップして肉付けしていけばいいのだがそれができない。原書のページをめくるが、いまと同じように文字だけが流れていく状態が数カ月続いた。そのときはこちらの対応も悪かったのだが、俺のやっているテーマが指導教官との決定的な対立を生んでしまったことが背景にあった。そのときの修論のテーマは奇しくもちょど同じ時期にベルリン大学のヴィンフリート・メニングハウスが考えていて、その数年前に学位論文として提出されていたことが、それが1992年に邦訳出版されたことでわかったときはほんとうに複雑な思いだった。圧倒的な知識量と歴然とした能力の違いにもかかわらず、10年も経ってから自分の考えが認められたような。ついでだからその本を紹介しておこう。
無限の二重化―ロマン主義・ベンヤミン・デリダにおける絶対的自己反省理論 (叢書・ウニベルシタス)
考えようによっては、学位論文が発表されてすぐに読んでいたら、1行も書けなかったかもしれないから、読まないでよかったともいえるわけだけど。
また横道にそれてしまった。とにかくいまの"早くこの先に行きたいのに、いまこの状態から抜け出す術を放棄している状態"ヤヴァイよなぁ。
仕事からしてそんな状態なわけだから、とてもオーディオ工作を先に進めるような気持ちになれないのである。