khimairaさん来訪

オーディオに手を染めてから2年とちょっと、商品情報も電気知識もなく、ましてや筐体を開けることなど犯罪に近いもんだと思っていた中年男が(だって開けちゃいけないって書いてあったもん/笑)、まったくの自己流で情報を得ながら音を作っていったいまのシステムの音がいったいどの程度のものなのか、いや、たいして高価な機材はないわけだから「程度」は知れているので、ちゃんといまの機材の潜在力が引き出されているか、引き出そうとしている方向性は間違っていないか…は気になっていた。うまくシステムを組まれている方の音もちゃんと聴いてないし。
というわけで、日ごろお世話になっているお礼の意味もあって、khimairaさんに来ていただいて、忌憚ないところを伺おうと思ったしだい。ワインと簡単な料理でのおもてなしがメインなのか音を聴いていただくのがメインなのかは、わからない(笑 
聴いていただいた結果は、khimairaさんがご自身の昨日のblogに書かれているが、ちょっと気恥ずかしくなるくらいの評価である。こちらとしては「ゼロに近いところから始めたにしては及第点」というくらいに受け止めているが、それにしても、長年オーディオの世界に身を置いておられるいつもは辛口なkhimairaさんにあそこまで評価されるとは思ってもみなかったので、なんか複雑な思いすらする。khimairaさんの評価を50%OFFに割り引いたくらいが自分としてはしっくりくる(^^;
にしても、さすがだなぁと敬服したのは、こちらが目指したい方向、注意を向けている部分を、こちらから説明するまでもなく聴き取られて、的確に言葉に置き換えられていくこと。おそらく、数々の経験からオーディオにできることの可能性も限界も熟知しておられるからこそのことだと思う。blogにおける言葉だって、自分自身で言葉を弄するよりも数倍的確に音の傾向が捉えられているし(^^;; 同じことを言うにも経験による裏づけのある言葉にはかなわない。
「可能性と限界」ということにかかわるが、khimairaさんはよく「捨てるものが必要」ということを言われる。求められる音の可能性はもちろん無数にあるのだろうが、無数にある可能性が経験的・論理的なベクトルの上に乗っていなければ、それは無知であることの言い訳にもなってしまう。その先にあるものは「好みの音は好き好き」とか「いい音に基準はない」という不可知論だと思う。しかし、音に限ったことではないが、主観的判断であればこそ、求められるべき可能性は「限界」の上に成立する。だから、khimairaさんが「捨てるべきものがある」と言っていることは、「可能性の地平」を見出す作業でもある。――そこが、そもそも捨てるべきものが何だかわからなかったりしている俺なんかとは決定的にオーディオ的な素養や感覚が違う。だから、いまのシステムの音がkhimairaさんの評価のとおりだとしても、たぶんその多くは偶然の産物なのだと思う。まあ、それが試行錯誤ということなのだといってしまえばそうなのだけど。
というわけで、過大な評価に気恥ずかしい思いはしているが、しばらくこの方向の音を追求していけばいいというお墨付きはいただいたので、その意味では一安心といったところ。あとは、もっといまのシステムと自分自身の「限界と可能性」を見極めることかな。

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予定としては、俺が手料理でおもてなしするはずだったのだけれど、なかなかメニューも決まらない俺を見かねたうちの奥さんがさっさと準備を始めたので、それに乗っかってしまった(^^; 

>khimairaさん
ほんとうに長い時間お付き合いいただいて、ありがとうございました。
こんどは、わたしが作りますから(^^

[追記]
本日、来訪者カウンターが77777を超えました。予想としては、きょうの夜あたりかなぁと思っていたのだけど、khimairaさん効果でkhimairaさんのところ経由でこられた方がかなりいたみたいで、予定よりずいぶんはやく到達しました。
パチスロはやったことないけど、7が並ぶと気持ちがいいという刷り込みはやっぱりあるもので、キリ番ゲットの方には記念品贈呈!なんて気持ちもわからないではないですね。もちろんそんなものないわけですが(笑
ちなみに、キリ番の方は午前10時56分にクリックされた方でした。
いつも読んでいただいている方、これからも見捨てずにいてください。
たまたま訪問された方、気が向いたらまた覗いてください。

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