「火刑台上のジャンヌ・ダルク」

風呂に入ろうと思ったら沸かしてなかった。寒っ! 風呂が沸くまで音楽ネタ。
かつてのように、聴くたびに熱いものがこみあげてくる音楽が最近少なくなった。歳のせいだろう。そんな数少ない音楽のひとつが、オネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」だ。この正月も小澤征爾/フランス国立管のCDを聴いた。決してメジャーとはいえないし、音楽としても別格的にすばらしいというわけでもないのだけれど、泣けてくる。音楽そのものよりも、火あぶりにされる直前のジャンヌと修道士の語りで進行させるというポール・クローデルの脚本の劇的な手法がツボにはまってしまうのだ。構成的にほんとうによく書けている。こういった一流の作家との共同作業が作曲家の創造力を刺激すると(もちろん逆の作用もあるが)、音楽家固有のクリシェが別の次元で展開されるんだな。オネゲルのこの音楽にしても、たとえば彼の交響曲に使われているのと同じ技法が、まったく違った深みと効果を生んでいる。日本でいえば、もっと時代が下って、瀧口修造実験工房にいた頃の武満徹の音楽なんかが思い浮かぶが、最近、あまりそうした例をきかないな。あっても、たいした話題にもならないし、芸術家同士が小手先で「コラボレートしました」というようなものでは、その結果も見えているけれど。
う〜ん、まだ風呂が沸かない。