充電中

仕事が忙しいこともあり、このところアンプに火を入れることも少ない。SA-8との付き合いに疲れて、そいつに見切りをつける方向でいるので、気持ち的に踏ん切りをつけるにはちょうどいいかもしれない。この1週間で、生オケを3回も聴いたことも、それに拍車をかけていることもある。ナマの音を聴いていると、オーディオについてあれこれ考えることは、音楽の実体験とはまったく別次元のことだとつくづく思う。どう頑張っても目の前のナマの音を再現することなど不可能だと割り切ることなしには、オーディオそのものが無意味ということになってしまう。というわけで、あたらめて、その両者の線引きを意識している昨今である。
閑話休題
きょう、調達したDynamicapをお渡しするために、id:Naryさんにお目にかかった。じつはもう少し小柄な方を想像していたのだが、長身のナイスガイ。お互いに仕事が残っていたので、あまりお話もできずに品物をお渡ししただけだったのが残念だ。オーディオの先達の話をいろいろ聞きたかったのだが。しかし、ネット上で会話をしている人と会ったときのちょっと不思議な感覚というのはネット社会の生んだ新しい感覚だな。文通している人間同士が会うのとはまた違った感覚だ。などと考えていたら、あらぬ方向に想像が膨らんで困った。たとえば、趣味についてあれこれネット上で言葉を交わしていたグループのだれかが、突然、亡くなったとする。その場合、その誰かが亡くなったことはだれにも知られないんだよね。そしてその人の葬儀には、仕事関係であまり馬が合わなかった人間とか、義理でしか付き合っていなかった人間たちが多数列席する。しかし、その人がもっとも自分らしい時間を共有していたネット上の人たちは、亡くなったことすら知らない。きっと、これからはそうしたことが増えていくんだろう。そのとき、われわれは自分の死とどう向き合うか、ちょっとした価値の転換が起こるんじゃないかな…等