逝かせてくれない…

昨日の日記にid:Naryさんがコメントを寄せてくださって、フランクとルクーのヴァイオリン・ソナタの話になったので、ローラ・ボベスコとジャック・ジャンティのCDを聴いた。フランクのほうは、ボベスコの線の細さがフランクの禁欲的な官能性に追いついていないのだが、ルクーのソナタのほうは、線の太さや厳しさよりも感性のほとばしりと抑制のバランスが要求されるので、ボベスコの美点がうまくでている。ルクーのソナタではこの演奏がいちばん気に入っている。演奏のノリそのものも、フランクよりもルクーのもののほうがいい。ボベスコのツボにはまってる感じだ。しかし、残念なことにこのCDは録音があまりよくない、というか悪いといっていい。これは1981年の来日時に新座市民会館(当時はよく録音で使われた)で収録されたものだが、音がこもっているし、チャンネルセパレーションが分離しすぎているので、ヴァイオリンとピアノが一体となる快感がいまいち沸いてこない。マイクのセッティングもヴァイオリンのほうがあきらかにオン気味で、ピアノがすこし奥まってきこえる。ヴァイオリンをメインで聞かせよという頭の悪い配慮が見え見えなのだ。フランクとルクーのソナタでヴァイオリンとピアノの絡みがうまく聞こえないなんて、快楽の多くの部分がそがれてしまうってことを、録音する人間ももっと考えて欲しい。ジャンティのピアノのタッチはすごく官能的なのだから、ちゃんと逝かせてくれよ。
で、逝かせてくれないのは録音だけではなくて、オーディオのほうもなのだ。マイクがオン気味で音圧レヴェルが高いために、俺のSA-5.1が悲鳴をあげて、ここぞというときに音が歪んでしまうのだ。Naryさんのお好きなフランクの第3楽章の跳躍音型や、ルクーの第1楽章と終楽章で現われる循環主題に基づくクライマックスの絶頂(同語反復だが、この場合の「絶頂」は「イク〜」というlクライマックスである:笑)で逝かせてくれない。SA-5.1とはずっと付き合っていくために、もうすぐ届くはずのPlitronトランスや、準備済みのDynamicap、国内入手できるBGの電解コンを使ってプロの手で一度フルメンテナンスしてもらうつもりであるが、こいうところで興が醒めてしまうのは、精神的にも身体的・感覚的快楽のためにもよろしくないので、早く手配したいところだ。幸いid:mandanaさんのところから嫁いでくる予定の805AAはプリ機能もついているので、SA-5.1の入院中も単独で働いてもらえる。嫁いできたとたんにパートナーが入院して、そいつのためにせっせと仕事をするなんて、実生活ではあまりあって欲しいことではないが、この場合は喜んで入院してきていただきたい。ただ、805AAを娶るために、SA-5.1の手術代に手をつけてしまったことで、しばらくは自宅療養してもらうことになりそうだ。ま、遠からずSA-8パワーアンプを身売りさせて手術代を捻出するというシナリオではあるのだが、見売り先が見つからなかった場合は…FidelixのSH-20Kに奉公に出てもらうしかなさそうだ。最近は出番も少なくなったしな。しかし、出番が減ったのは、もとはといえばSA-5.1の不調が原因なわけで、つまり歪みがちな音では、その効果があまり発揮されなかったからなわけで、球アンプでその実力を試せないまま手放すのはひじょうに心苦しくはある。SH-20Kを考慮に入れると、こういう堂々巡りに陥るのである。音楽の循環形式は歓迎するが、思考と現実の狭間で循環論法に陥るのはやだな。
なんか、不満ばかり言ってるよな、俺って。もう少し自由に使える金ができるように稼ぎを増やせればすべては解決するのだが、ってこれも不満ですから〜! 残念!

きょうのCD

といわけで、もちろんこれ。散々録音の悪口を書いたが、それを補って余りあるルクーのソナタの演奏は一聴の価値あり。
asin:B00005FFKZ
って、これも廃盤か?