音像と音場

ふだんオーディオ装置で音楽を聴くときには、音の奥行き側のひろがりとか定位なんかをけっこう気にして、ケーブルなんかを替えたときでもシステム全体としてそれがうまく再現できているかがけっこう大きな基準になったりするのだが、コンサート会場の1階席や2階席のセンターが好きかというとそうでもない。たとえばサントリーホールなら舞台に向かって右側の2階席RB、タケミツメモリアルなら逆に左の2階のセンター寄りのバルコニーで聴くことが多い。演奏者全員が見渡せてどの位置でどの楽器が何をやっているかが視覚的に確認できるという要素も(とくにサントリーのRBなんかそうだが)重要なのだが、それ以上に、音の立ち上がりや輪郭がつぶさに聴きとれ、残響がほどよい感じで体全体を包み込んでくれるかどうかなのだ。だから、けっしてオーディオで音楽を聴いているときのような左右・前後均等の物理的なバランス云々という音ではない。抽象的な言い方になるが、音そのものとの距離感のバランスがいいのだ。よく、オーディオの音の傾向を表現するときに音像型だとか音場型だとかいわれるが、それはどっちがナマに近いとか原音に忠実だとかいう話じゃまったくなくて、けっきょく自分が好ましいと思う音と自分との距離のことなんじゃないかな。つまり音楽を聴いている自分とのーー。じゃあ、おれが音の奥行とか定位とかを気にするのはなぜかといえば、録音された音はほとんどすべてセンターが基準になっているからにすぎなくて、そこに擬似的な空間的や距離を求めないことには、たんなるのっぺりしたつまらない音になってしまうからだ。広いコンサートホールの空気感や空間恐怖すら感じさせるような「間」のリアリティに基づく音との距離など、所詮オーディオに求められるはずもないのだ。なんか、別のことを書くつもりだったのだが、なんだったけ。昨晩、徹夜仕事でまったく寝てないせいか、思い出せない。