Edgar Froese

このところの落ち込みで、大げさな管弦楽とかが多少うっとうしくなって、小編成の室内楽とかピアノ・ソロなんかを聴いていたのだが、先日、一昨年に分担執筆したプログレッシヴ・ロックの本をぱらぱらとめくっていたら、急にTangerine Dreamが聴きたくなった。そのとき執筆がまわってきたのは、好き者しか聴きそうもない残り物で、Tangerine Dreamみたいなそこそこメジャーなのものはそちら方面のライターさんが書くことになっていたので聴き直す機会を逸していた。プログレなんか聴いていたのは、20代の頃のことだから、当然CDなど持ってないわけで、今回、まとめて注文した。
で、きょう届いていたのがTangerine Dreamの親分のEdgar Froeseのファースト・ソロアルバム「Aqua」(1974)とセカンド・ソロアルバムの「Epsilon in Malaysian Pale」(1975)の2枚。
イプシロン・イン・マレイシアン・ペール~青ざめた虚像Aqua
両方とも15年ぶりくらいに聴いたが、懐かしさよりも、こういう音楽にいまでもアクチュアルに共感するのが不思議だった。Moogシンセイザーなんていまでは過去の遺物となった楽器だけで表現されるman-machineインターフェースな音響空間がひじょうになじむ。AquaのほうはLPのB面にあたる曲がバイノーラル録音になっていて、ヘッドフォンで聴けという指定がある。当時はバイノーラル録音は3次元空間を再現するのにもっとも適した録音方法ということで話題になったが、あまり普及はしなかった。このあたりのことはkhimairaさんがお詳しいだろう(ヘッドフォン関連で、アルバム名も奇しくもAquaだし/笑)。
たぶん、明日にはグループ本体のTangerine DreamのCDが3枚ほど届くはずだ。ここしばらく声のないシンセサイザー・ロックを聴きながらあれこれ考えることになりそうだ。