Do you like B?

 BはBrahmsのBである。とはいえF.サガンの『ブラームスはお好き』を英訳で読んだとかいうのではまったくない。このタイトルは、1年だけ大学の同級生だったジャズ・ピアニストの黒田京子のリーダー・アルバムのタイトルである。1年だけだったのは、2年に進級するときに彼女が哲学科から国文科に転入していったから。
 じつは俺は大学1年のとき(だけ)ジャス研に在籍していてテナー・サックスを吹いていたのだが、彼女はジャズとはまったく関係のないサークルにいて、彼女が後にジャズを仕事にするなんてまったく予想もしていたなかった。
 ずいぶんあとになって、ジョン・ゾーンのライブに行ったときに“ピアノ/黒田京子"とあって、「ふ〜ん、大学の同級生と同姓同名だな」とおもったらステージにでてきたのが本人だったことにはのけぞった。そのアグレッシヴなピアノと大学時代の彼女の印象のあまりの違いに驚いたのが、もう15-6年前だろうか。
 とはいえ、彼女のライヴを聴いたのは、そのときも含めて2回しかない。彼女の名前は、それ以来あちこちで目にして、その活動範囲を広げていくさまを知ってはいたのだが、俺が、ジャズ・インプロヴィゼーションの類いの音楽を聴かなくなってしまったのだ。
 ところが、昨年夏にたまたま行ったライブ・ハウスの出演記録から、彼女のHPがあることを知り、そこで、本人から通販購入したのがタイトルの「初リーダー・アルバム」なのだ。忌憚ない意見を聞かせてねぇ、といわれていたのだけど、未だに何も書き送っていないので、最近、とあるところでつながりができたので、ちょとしたレビューを書いてみることにした。

 というわけで、黒田京子トリオの「Do you like B?」を聴いてみる。トリオといっても編成はヴァイオリン+チェロ+ピアノ、つまりクラシック音楽におけるピアノ・トリオの編成である。このような編成であれば、外部のリズムセクションに依存することなくリズムを音楽に内在させざるを得ないから、音楽の即興性がたかければそれだけそれぞれのメンバーの高度な音楽性とインタラクティヴなコミュニケーション能力が要求されると思う。あえて黒田がこういう形態でインプロヴィゼーションの可能性を求める意図はどのあたりのあるのだろうか?
 黒田の近年の活動の記録をのぞいてみると、いわゆるスタンダードなセッションはあまりないようで、ジャズ畑の奏者だけではなく、現代音楽やクラシック畑の器楽奏者とのコラボレートとうかたちで行なわれているようだ。そうした横断的な試みによって得られたいくつもの音楽イディオムが彼女のいまの活動のもっともおおきな牽引力になっているような気がする。じっさい、このCDを聴いてみてもそのようなイディオムの多様さが黒田のピアノからはきこえてくる。
 メンバーは黒田のほか、翠川敬基(vc)、太田惠資(vn)。アルバムは、黒田によるテーマのものが2曲、翠川のものが3曲、太田のものが1 曲、それに富樫雅彦によるものが3曲、ヒンデミットのチェロとピアノのための小品によるものが1曲、それにブラームスピアノ三重奏曲第1番の第1楽章が最後にフェイドアウトされるという構成。ブラームス以外はすべて即興であるという。
 なるほど、メンバー以外の作品をみると、このユニットの目指した方向がおぼろげながら見えてくる。とくに肝となるのはヒンデミットだろうとおもう。黒田のこれまでの演奏活動でテーマとしてきたもののひとつにブレヒト/ワイルのソングに基づく即興やコラボレーションがある(俺は未聴だけど)ということを考えると、ワイルと活動時期を同じくするヒンデミット1920年代に掲げた「実用音楽」(19世紀的な美学に基づく"芸術のための芸術"を否定し新即物主義的な視点で作曲された簡素な形式を持つ音楽)になんらかの共感を持っているのだろう。技巧や不可知論的な晦渋さに行き場を失った即興的なインプロヴィゼーションに、ある種の形式感を与えること、あるいはそれに関連して、ユニットそのものの形態が持つ「異化作用」なんかも意図しているのかもしれない。このユニットの最初のライヴがブラームスピアノ三重奏曲だったという話も、黒田の形式への指向性があらわれている。そして、アルバムのタイトルも。
 しかし、こちらが、こういった類いの音楽を聴かなくなって久しいから、あまり深入りしたことはいえる立場じゃないのだけど、黒田の即興の中からきこえてくる新ウィーン楽派フランス6人組のようなイディオムが、メンバーそれぞれが共有しているかというと、そうではなく、それそれが別々のイディオムを奏でているようにもみえる。むしろリーダーである黒田のイディオムをもっと前面に打ち出してもよかったんじゃないだろうか。録音もふくめ、どこかピアノが遠慮がちなのだ。そのために、黒田のピアノがどこか器用貧乏みたいにきこえてしまうのは、ぜったいに損だとおもう。たとえば、即興だけではなく、「作品」を書いてしまってもおもしろいのではないだろうか、などどもおもったりする。あるいは「作品」として成り立たせられるような仕組みを取り入れてみるとか…。
 あと。気になったことをひとつだけ。回想風にとはいえ、ブラームスを入れるならヴァイオリンは、音程やアーティキュレーションなどもう少し基本的な部分をしっかりさらってほしかった。あえてラフに弾くことである種の「異化効果」を狙っているとは思えないし、アルバムの意図もそうではなかったはずだ。

 以上、まったくの門外漢が好き勝手をいっただけなので、少しでも興味のある方はぜひ聴いてみてほしい。訳の分からない晦渋なジャズ・インプロヴィゼーションを聴くよりは、数倍おもしろく聴けるし、こういう音楽は実際に聴いて参加することがいちばんだから。
黒田京子のHP
http://www.ortopera.com/index.html