間章

 中間楽章というクラシックの音楽用語を打ち間違えた、あるいはDeleteし間違えたのではない。間章(あいだ・あきら)という人名である。
 いま、間章(1946-1978)という32歳で世を去ったことばの真の意味で批評をなし得た希有な音楽評論家のことをどれだけの人が知ってるだろうか、あるいは覚えているだろうか。もちろん、彼の批評の範疇はジャズとロックであり、クラシックや現代音楽ではない。だが、ジャンルという制度的を軽々と横断し、その深部のアマルガムに堕ちてく眼差しをもって強度としての批評を書き続けた彼の言説を、ジャンルや範疇ということばで棲み分けさせることには、激しい拒絶を覚える。
 実際、10代の俺は、間章の言説に導かれて、コルトレーンスティーヴ・レイシーといったフリー・ジャズの巨星へのイニシエーションを果たし、クセナキスやシュトゥックハウゼンへと導かれ、シド・バレットブライアン・イーノタンジェリン・ドリームクラウス・シュルツヴェルヴェット・アンダーグラウンドルー・リードといたロック・アーティストと出会った。ルドルフ・シュタイナーハイデガーエルンスト・ブロッホなんて思想家たちを、同時代というだけの地平から同列に切り取ってみせながら、音楽を語る無謀ともいえるアクロバティックなやり方に興奮を覚えながら(しかし、それが現代という時代の音楽精神の裏面史を間が意図していたとわかったころには、俺の関心は間から離れてしまっていた)。

 そして、間章が死んだとき、確実に俺のなかでひとつの時代が終わった。少なくとも俺にとっては、ジャズとロックの導師(グル)を失った。たぶん、俺がプログレ以降のノイズ・アヴァンギャルドなんて聴きはじめ、それをテーマに文章を書いたのも、間章への俺なりのオマージュでもあったし訣別でもあっただろう。
 もう20年近く前の話だけど。

 なぜ、突然、間章の話をしたかというと、『EUREKA』の青山真治が、間章をめぐるインタビューで構成したドキュメントを製作したというニュースを読んだから。
http://www.nikkansports.com/entertainment/cinema/p-et-tp1-20060919-92104.html

 このニュースを読んで、慌てて本棚から2冊の評論集を取り出してきた。しかし、その文章をパラパラ読んでみたが、その強度にいまの俺はついていけなかった。
 映画のほうは、たぶん観るだろうが、間への俺の感情が邪魔をしそうな気もする。
 本は、そのまま本棚に戻した。
 

 
なお、間章については、ジャズ評論集『この旅に終わりはない』の巻末に辻邦生が美しいオマージュを寄せているが、その文章をネット上で見つけたのでリンクしておく。
http://homepage2.nifty.com/tofu-tokiwa/aida%20aquirax.html