ハーモネータを復活させる

 2007年になって初の書き込み&オーディオネタ。
 けっきょく、スーパー・ツィータの試みは当初の目論見を達成できず、ツィータはそのまま俺の預かりとなった。
 それでふとおもったのだが、DALIが25KHzまでの再生能力があることだし、この1年近く使っていなかったFIDELIXのハーモネータ(SH20K)を復活させて、20KHz超の擬似(合成)周波数信号を送り込んでも、けっきょく似たような効果があるのではないか。もちろん、可聴範囲を超えた信号そのものを合成するのと、理論的には20KHz以上の周波数が記録されていない信号をスピーカの能力で××する(なんといっていいのかわからない/笑)のは根本的に異なるが、スピーカから空気中に放射された可聴範囲内の音への影響ということについては似たようなものではなかろうか。
 という、根拠薄弱な仮説(よけいな回路を介在させるための口実ともいう/笑)のもとハーモネータを復活させるべく、ここでひと手間。しばらく使っていなかった理由のひとつに、左チャンネルがほとんど機能しない(かすかに音は出る)ということがあったので、それを解消しなければならない。しかし、開腹してみてたところで回路はまったく理解していないわけで、できることといえばいくつかある半固定抵抗をいじくってみることくらいだ。うまくいけば、そのうちのどれかが出力信号を制御しているかもしれない。しかし、どの半固定抵抗も、周波数の合成にかかわっているだけのようで、どれをいじってみても問題は解消されなかった。
 しかたなく、FIDELIXに修理してもらうことにして、年末も押しせまった28日に連絡をとってみた。症例に対する返事はこうだ。「その程度ならすぐに対処できるから、現金2000円を沿えて機械を送ってくれ」。「2000円?」…諭吉一枚ほどは覚悟していたので、意外な安さに驚くと同時に、その程度で修理可能な部分なら、対処法を知らせてくれれば済むことなんではないかとか、たしかに、8万超の製品とは思えないほどの見た目の回路の単純さから、ま、じっさいはそんなもんなんだろうと、妙に納得したりもした。
 FIDELIXの対応はとても早く、送った2日後にはもう手元に修理品が届いた。つまり到着当日に修理をしてその日のうちに発送したということ。年末の晦日前の時期に、早い対応をしてくれたことはとてもありがたいが、いかに簡単な原因だったかがわかる。ちょいと複雑な思いだが、開発者兼経営者という小さな会社だからできることだろうが、対応にはとても満足で感謝している。
 というわけで、めでたく問題は解消。年明けのあわただしさなどで、けっきょくシステムに組み入れたのは昨晩になってしまったが。
 で、ここでハーモネータの再評価ということになるのだが、Decwareのケーブルの話とも絡むので、また後日。

スーパー・ツィータがやってきたが…

Waldstimme2006-12-25

 Naryさんがスーパー・ツィータを手放されるというので、お安く譲っていただいた。とくに現状の音に大きな不満があるわけではないが、どんなものか一度自分のシステムで確認したいという興味のほうが先にたった結果だ。モノはHi-Vi Reserch/RT1-Ⅱというリボン型ツィータ。フォトスタンドみたいなアクリルの衝立にアルミ製のユニットを取り付けただけのシンプルな構造である。
 当然、回路音痴の俺のことだから、ローカットのネットワークなんてことはまるっきり未知の領域で、見切り発車もいいとろろだ。先週半ばに到着したブツにはローカット用にDynamicapの0.45uFが直列で接続してあったので、まずは何も考えずに音出しをしてみようということで、無駄に長かった樽スピーカ用のBELDEN/718MK2をぶった切ってつなげようとしたら、ハンダ付けの際に線材が太すぎて熱がまわりすぎたために、片チャンネルのDynamicapの電極がポロッと取れ落ちてしまった。高価なコンデンサはこうしてあっけなく昇天。無謀なことはするものじゃない。
 気を取り直して、ネットワークのことをちょいと調べたんだが、相変わらず電気用語はちんぷんかんぷんなんで、適当なネットワーク・プログラム計算ソフトを見つけて、6dB/oct-3dBというやつで、クロスオーバー周波数を計算(といってもそのプログラムの数値の意味がよくわからない)。20kHzでクロスさせるとすると1.38uFという数字が出たので、週末にアキバに出向いてASCの1.5uFと、47研の0.4mm単線+専用バナナを買って接続。

 ところが、これからがようわからんのだが、ハイパスの勾配が緩いのかなんなのか、20kHzでクロスオーバーを設定したのにかなりはっきり音がきこえるのである。DALI/Towerは上方向の再生周波数は25kHzとなっているから、もっと定数を下げるべきかもしれないが、それにしても聞こえすぎないか? 可聴範囲内の音がこれだけ聞こえていいのものなのか? Naryさんが付けられていた0.45uFだと、ご自身も40kHz近辺で設定するつもりが小さすぎたとおっしゃっれていたが、使用した計算式の選択に誤りがなければの話だが、クロスオーバーが70kHzにもなる。いくらハイパスの勾配が緩くても、70kHzのクロスオーバーでは人の耳に絶対何もきこえるはずはないのだが、コンデンサが昇天しなかったほうのチャンネルは、小さな音が出ていた。となると、根本的ににネットワークの設定が悪いとか計算が間違っているということなのか? とにかく、現状ではそれ以上のことはわからない。

 そんな状態で音の変化を云々しても、あまり意味ないのだが、なんとなくだがどういう方向に変化するのか程度はわかっきた。ひとことで言えば、倍音が粒子のように音場に漂う感じ。コンサートホールで聴く音の付帯的な要素(楽器のタッチ)が空間的な情報量に変換されてつけ加わり、くわえて残響の広がりに空間性が豊かになったようにおもう。…がしかし、それは現状の不具合(?)を想像上で差し引いてみての印象にすぎないわけで、現状では、非常にバランスが悪い。別のスピーカで聴いてるような高域バランスではスーパーツィータの役割を果たしていない。過ぎたるは及ばざるが如し。とりあえず、コンデンサの容量を1uF程度まで下げて様子見ってところだろうか。
 しかし、どこか根本的に間違っているという疑念がぬぐえないのだが…。 

風邪を足す

 ときどき、電車の中などで独り言をしゃべり続ける人がいるが、きょう俺の前に座っていた男はおもしろかった。
 まるで話相手がそばにいるような話しぶりで、話に破綻がない。はじめの数十秒は隣の人が連れかと思ったほどだ。それになかなかの知識人である。日本史がまったくダメな俺は、亀戸で降りるというかれから、菅原道真大宰府に左遷されたいきさつをしっかり勉強させてもらった。くわえて、彼が風邪を引いたいきさつも知ることができて、風邪に対する注意も促されたしだい。
 で、思わず吹き出しそうになったのが、タイトルのことば。彼はこの2,3日、風邪の症状がどんどん進行しているといい、「風邪を引いたんじゃなくて、風邪を足しちゃったんだよ」というのだ。この発想、すばらしいじゃないか。「鼻水もSamenもとまらない」なんてお下劣なことを言ったりもするが、とにかくイメージを生むことばの統語機能に感心することしきり。
 その男は「ゴメンチャイチャイ、ゴメンニャンニャン」といって、人をかきわけて亀戸駅で降り、「みちまさ」公の所縁の天神さまに向かった(はず)。

西山まりえのマニエリスム

Waldstimme2006-12-13

 知人がたちあげた新レーヴェルAntronello MODEから年明け早々バッハの鍵盤音楽全集を順次録音していくというチェンバロ奏者西山まりえのplays Bachシリーズの第1回リサイタルを聴きに行った。西山のバッハはすでにコジマ録音から《フランス組曲》がリリースされていて「レコード芸術」誌でも特選盤になってるらしいが未聴。というか西山のソロを聴くのすら初めて。初台のオペラシティ3Fの側楼風の小さなドーム型のスぺース(近江楽堂)にて。12日。
 メインの《ゴルトベルク変奏曲》のまえに、2声のインヴェンションから5曲というプログラム。
 1 曲目のインヴェンション第15番の冒頭から、複雑に絡み合う装飾音と旋律線がルバート気味のフェイント攻撃、一瞬クープランの曲が始まったのかと思っちまった。でも、けっきょくこれが西山の武器なんだね。《ゴルトベルク》でもひとつひとつの音型ごとにテンポを変化させて、音楽の流れをかなり自在に操るためのトリガーとしているような手つき。その手つきから生まれる音楽のゆらぎが「世界一カンタービレチェンバロ」って大風呂敷なうたい文句につながるんだろうが、むしろ巧みに織り込まれたバッハ特有のフィグーラ(音型の意味論)をにらみながらも、そこに必要以上に踏み込まないことがいいい方向に作用して、音楽の焦点を旋律線からずらすことにつながり、マニエリスム絵画のような独特の揺らぎを生んでいるようにおもえる。
 個々の表現としては、ちょっと神経質すぎる部分もあるが、微妙な音型をとらえるアイデアはとても豊富だ。そのアイデアが恣意性を超えてひとまわり大きな全体像を獲得できれば、かなり斬新なバッハ像を提示できるのではないかしら。
 次回は3月にイタリア協奏曲を演奏するというが、バッハのイタリア受容を昇華したこの作品に、西山がどのようにアプローチするかも楽しみ。

=====================

 ところで、会場となった近江楽堂と同じフロアのアートギャラリーで、建築家の伊東豊雄の近年の建築手法を展示した「建築/新しいリアル」が催されていた。あらかじめ知っていれば、もっと早く事務所を出てその展示を見てからリサイタルに行ったのだが。会期は24日まで、時間がとれるかどうか微妙だな。

スピーカ・スタンド

Waldstimme2006-12-12

 サブ・システムに使っている「樽スピーカ」(ウィスキーの醸造用の樽をエンクロジャーとして使っている)用のスピーカ・スタンドをずっと探していたのだが、ようやっとヤフオクで手ごろなものが見つかったのでget、昨日届いた。
 設置台の幅も奥行きも、まさにこいつのためにしつらえたのではないかというほどジャストフィット。九州で個人がやってる木工加工屋さんの製作なので、オーディオ的な配慮はさほどされていないが、8cmフルレンジの小さなスピーカだから本体と設置台のあいだにピンポイントでインシュレータをかませるくらいで充分制振効果はあるはず。上に突き出た4本の支柱の意味があまりよくわからないが、たしかに設置台だけではデザイン的に貧相にはなる。8mmm 厚のちょうどいい大きさのアクリル板があったので、ためしに支柱の上に載せ、そこにだらしなく伸びきったポトスの鉢を置いてみた。うむ、何とか様にはなってる。もうちょっと鉢植えをまともなものにすれば、目の前にあっても充分見た目にもたえられそうだ。これで送料込みでペア6000円弱ならいい買い物である。

レクチャー・コンサート

 法政多摩キャンパスのレクチャー・コンサートでプレトーク。それにしても遠い。自宅からたっぷり2時間以上。80年代にさかんに都内の大学が郊外キャンパスを移したが、こうして実際に行ってみると、俺などとても4年間もまともに通う自信はない。もっとも文学部は専門課程は市ヶ谷らしいが、教養課程で単位を落とすこと必定である。山手線内のキャンパスしか知らない自分はラッキーだったと、あらためて思った。
 プレトークのほうは、指揮者のI氏とフランス革命を挟んだーツァルト(40番)とベートーヴェン(田園)の間の音楽様式の展開と聴衆の変化のごく基礎的なお話と、主席チェリストのO氏を交えて現代奏法と古楽器奏法の話。
 じつは、昨晩の実相寺さんの通夜の帰りに飲みすぎて、朝も二日酔い気味で家を出たので、こまかい準備がおろそかになっていたのだけど、プロットを決めていたのでスムーズに進められたと思う。ただ、時間が短かったので、ふだんあまりクラシックを聴かないお客さんが多い中で説明不足な部分があったのではないかとちょいと心配。

 音楽ほうは、40番ではオケの調子があまりよくなかったが、田園ではさすがすばらしい和声感覚とバランスの冴えを聴かせてくれた。こういう音づくりは日本のオケではなかなか聴けない。派手でけれんみのある音づくりは一切ないからなかなか一般うけしづらいんだよなぁ。親しい友人のつくる音楽は、いいところも悪いところもつぶさに見えてしまうので、詳細は書きづらいってことで、お茶を濁す(^^;

届くことのないビデオテープー実相寺昭雄さんのこと

http://www.nikkei.co.jp/news/okuyami/20061130AS1G3000T30112006.html

 ウルトラ・シリーズの演出でわれらが少年時代の記憶に焼きついた演出家・映画監督、実相寺昭雄さんが亡くなった。昨年末に内輪の酒宴の席でごいっしょしたのが最後だった。
 ウルトラ・シリーズの制作の裏話、円谷英二監督の話、そのとき手かけていたモーツァルトの《魔笛》の演出の話など、いろいろと思い出すことはあるのだけど、時間が経過するにつれて記憶の羊水にことばが沈んでいく。
 6,7年前のウルトラマン・ティガ(だったかな)を実相寺さんが一話だけ手がけたことがあって、それが見たいがために会社を早く引けてかじりつくように見たこと、そしてその演出の俺なりの理解をその席で話したら、たいそうお喜びになって、マスタービデオからダビングをしていただけることになっていたのだが、俺の手元に届く前に亡くなってしまった。
 いま、事務所と自宅の書斎には実相寺さんの色紙が飾られているが、それを見るたびに、ウルトラセブンがやってくることを夢見続けて大人になった少年のように、届くことのないビデオテープを、待ち続けるのだろう。

 明日、お通夜に行ってくる。